世界をつなぐ“うま味”のルーツ:「醤(ジャン)」に見る発酵の知恵と食文化

各国の料理の味を決めると言っても過言ではない「調味料」ですが、今回は世界中の発酵調味料に共通する原型のひとつ「醤(ジャン)」に注目してみましょう。

「醤」は塩と発酵の知恵から生まれ、地域ごとに多様に進化してきた、まさにグローバルな調味料文化の結晶です。

古代ローマの「ガルム」と、東西に分かれた醤のルーツ

発酵調味料の原点として、よく挙げられるのが古代ローマの「ガルム(Garum)」です。魚の内臓を塩漬けにして長期間発酵させてつくる液体で、当時の食卓に欠かせない調味料でした。

『アピキウス』という古代ローマ料理書には、さまざまな料理にガルムを加えるレシピが登場し、都市人口に効率よく味と栄養を届ける知恵として機能していました。

やがてこの技術は、西へはイタリアの「コラトゥーラ」、東へは中国〜東南アジアの魚醤や豆醤へと分かれて発展していきます。
※コラトゥーラ(イタリアの伝統的な魚醤で、アンチョビを原料にした透明な発酵調味料)

参考文献(日本語)

国立国会図書館|古代ローマの食事とガルム

国立歴史民俗博物館|味噌・醤油・ひしおの歴史的変遷

醤(ジャン)はなぜ世界中にあるのか?

以下の3つの理由により、「醤」は世界各地で自然発生的に発展しました

保存技術としての発酵

冷蔵技術がなかった時代、塩+発酵による保存は生き残るための知恵でした。

宗教と文化による素材の多様化

ヒンドゥー教・仏教・イスラム圏では大豆ベース、漁業が盛んな地域では魚ベースの発酵が普及しました。

シルクロードによる文化交流

東西の交易路を通じて、豆の発酵技術が西へ、魚醤の文化が東へ伝播し、それぞれの土地で独自に進化しました。

地域別「醤」の進化と特徴

日本「醤(ひしお)」から醤油・味噌へ
醤(ひしお)は古代日本における発酵調味料で、魚醤・草醤・肉醤・穀醤などの種類がある。
鎌倉時代以降、大豆と小麦を麹とともに発酵させたものが「たまり醤油」や「味噌」に発展。
中国「醤(ジャン)」文化の中心地
・豆瓣醤(トウバンジャン):そら豆と唐辛子、塩を発酵させた四川料理の要。
・甜麺醤(テンメンジャン):小麦粉ベースの甘いペースト。北京ダックや回鍋肉などに使用。
・黄醤(ホワンジャン):大豆を主原料にした味噌状の調味料。
韓国テンジャンとコチュジャン
・テンジャン:韓国の味噌。メジュという大豆の発酵ブロックから作る。
・コチュジャン:もち米・麹・大豆・唐辛子を発酵させた甘辛いペースト。
ベトナムマムとトゥオン
・マム:魚介類を発酵させた魚醤。ヌクマムが有名。
・トゥオン:中国由来の大豆発酵調味料。味噌に近い。
地域によって風味や発酵の度合いが異なる。
タイ・
東南アジア
ナンプラーと豆醤
・ナンプラー:魚醤の一種。カタクチイワシを塩とともに熟成。
・タオチオ:中国系住民が伝えた大豆の塩辛風ペースト。
東南アジアでは「魚醤」と「豆醤」の両方が主流。
インドテンペ状発酵食品と大豆ペースト
南インドでは発酵レンズ豆やひよこ豆のペーストがチャトニやカレーのベース。
「豆の発酵」はあるが、「醤」に近い液体/半固体の発酵調味料は少ない。
中東「ガルム」からの影響
古代ローマのガルム(魚醤)は、中東のシルクロード文化圏にも広まりました。
イランなどでは魚や肉の発酵調味料があったという記録があり、「醤」の古代版と言えます。
エジプト・
アフリカ
発酵豆の文化
古代エジプトでもローカルの豆を発酵させて食用にしていた記録があります。
エチオピアでは「ニトルキベ(スパイスバター)」などの発酵的加工もあるが、「醤」的な文化はやや限定的。

科学と発酵が生み出す“うま味”

20世紀初頭、日本の化学者・池田菊苗博士が昆布から抽出した「グルタミン酸ナトリウム」は、うま味の正体でした。

その発見は、味噌や醤油、ナンプラーなどの“うま味”の再評価にもつながっています。

発酵がもたらす利点

  • 味の深みと持続性
  • 保存性の向上
  • 植物性原料でも栄養価を高める(例:ヴィーガン食品としての味噌)

現代でも通じ合う「醤」カルチャー

現代に入り、健康志向やサステナビリティへの関心が高まる中で、発酵食品が再評価されています。特に注目されているのが、発酵のチカラで引き出される「うま味」と、動物性原料を使わない植物性調味料としての可能性です。

ウスターソースの“偶然の発酵”

1830年代、英国の薬剤師リー&ペリンがインドから持ち帰ったレシピを元に開発した「ウスターソース」(酢をベースにしたスパイシーで酸味のある発酵調味料)は、当初は不評でした。

しかし数年間瓶に放置した後、驚くほど味がまろやかになり、商品化されることに。これはまさに「偶然の発酵」が“うま味”を生み出した例です。

ヴィーガン/プラントベースとの親和性

豆ベースの「醤」は、動物性原料を一切使わずに、豊かなコクと旨味を引き出せるという点で、ヴィーガンやプラントベースの食生活を選ぶ人々の間でも高く評価されています。

たとえば以下のような調味料が、動物性を避けながらも深みのある味わいを提供しています。


味噌

日本の発酵文化の代表格。大豆を主原料とし、栄養価が高く、腸内環境を整える発酵食品としても人気です。

豆鼓(トウチ)

中国料理で使われる大豆の発酵食品。炒め物や蒸し料理に使うと、独特の風味が加わります。

豆板醤(トウバンジャン)

発酵そら豆と唐辛子を使った調味料。辛さと旨味を兼ね備え、料理に深みを与えます。


さらに、これらの調味料は単なる代替品ではなく、独自の“うま味文化”を形成しており、現代のフュージョン料理や海外レストランでも積極的に採用されています。

また、最近では無添加・オーガニックの「醤」シリーズが各国で展開されるなど、サステナブルで健康的な調味料としても注目を集めています。環境負荷の少ない食の選択肢として、「醤」は今後さらに広がりを見せていくでしょう。

まとめ

このように、「醤」は食文化のローカルとグローバルをつなぐ“うま味の架け橋”とも言えます。次に調味料を手に取るとき、その背後にある歴史や発酵の知恵に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?